施設研究会 第12回 国立代々木競技場(第一体育館)見学

2010/05/18

 1964年に開催された東京オリンピックで建築された施設の中でも、特に建築的価値が高い故丹下健三氏の設計である国立代々木競技場(第一体育館)の見学を行った。建設時の文部省のコンセプトは“芸術性の高い建物”であった。その後、建設当初の水泳場から様々なスポーツイベント会場として時代に合わせて変貌を遂げ、築40年以上経った現在、明治神宮の杜など周囲の環境に調和し、丹下健三の代表作の一つであると共に建築的にも世界的に価値あるものとなった。本来見学は受け入れていない施設だが、弊社の勉強会の趣旨を説明し見学させて頂くことが出来た。

 

 今回、建築単体を見るのはもちろんのこと、運営面の問題点や耐振補強などの構造的対策などをどのように計画して実施しているかを知り、環境に対して負荷低減が言われている中で、このような大規模公共建築を計画、改修するにあたっての計画上配慮しなければならない点などを学ぶことを主な目的とした。

  まずイベントとしておなじみの空間であるメインアリーナと観客席から案内を頂いた。メインアリーナは元々水泳場とスケートリンクの使用を想定していた。その後、供用開始から十数年に到来したオイルショックの影響により、立地の良いこの施設を多目的に集中して使うことが省エネルギーにつながるとのことから、スポーツのみならず様々なイベントなどにも積極的に使われるようになった。 

 さらに主用途であった水泳場は神宮外苑エリアなどに東京体育館など競合施設が充実してきたこと、公式競技に使用するための改修が困難であることから平成9年で使用を中止した。その改修とは、計時システム(わずか厚さ数センチのタッチボード)を設置することであったが、公式競技に必要なプール長さを確保するために側壁に手を加えると吊り屋根構造に影響を与える可能性があり、それに掛かる費用に対して採算性がとれないと判断され、継続使用を断念したとのこと。将来性を見越した設計がいかに重要であるかを思い知らされる。

 次に来賓室、ラウンジ、ロビーを見学した。来賓室は観客席の中央にあるロイヤルボックスにつながっており、曲面で構成される有機的な天井は、柔らかく包まれる空間であり、年月は経っているが丁寧につくられた空間であることを感じる。

 ロビーには岡本太郎のアートがあり、当時すでに著名であった芸術家とのコラボレーションを見て、当時世界一の建築を創ろうとした人々の情熱を感じ取ることができる。

 続いて、地下設備室や地下ピット、バックヤード、控室を見学した。設備室はこの建築の特徴的な外観からも狭あいなスペースに押し込まれており、設備機器の搬入口は非常に小さく、将来の機器更新は分解して搬入を想定していたそうだ。既に1度の機器更新が行われていたが、技術の進歩により当時より省スペースな機器となったため、実際は事なきを得たそうだ。地下ピットは元々東京オリンピック時代に水中カメラがなかったので、水泳種目のテレビカメラ用のスペースとして、プールを直接覗いて撮影するためのスペースだった。その名残でプールの側壁には船舶の覗窓のような窓が今でも残っている。現在は水泳場が役目を終えたことから、元々プール内部であった空間はアリーナの鉄骨架台が設置され、テレビカメラ用にスペースは、増設した配管系統やLANなどの通信系のピットとして利用されている。

 バックヤードは通常のオフィス空間である。ここでは貴重な竣工図を見せて頂いた。控室は代々木公園側の通りに面して配置されており、演者のスムーズな出入りに留意されている。また様々なイベントで利用される様になり、施設の運用効率が上がったのは良いが、当初はそのような使い方を想定していなかったので、観客席との構造上の問題で大型トラックはアリーナに直接進入することができない。今やこの手の施設では常識となっている搬出入の方法がとれないため、オペレーションで工夫するしかなく、イベント主催側にとっても不利益な一面はある。

 外構は、東京オリンピックに向けて主要道路が整備され、その際に廃止となった都電の路盤が使用されている。一面に敷き詰められた大判の花崗岩が、この象徴的な建築のステージとして見事な引き立て役となっている。

 今回、私達が施設見学を依頼した時点では、東京が2016年オリンピック開催地の最終選考に残っており、開催に向けリニューアルなどその手法についても意見が聞けると考えていたが、残念ながらその直前に落選となった。施設担当者の“こうした価値ある建物なので、オリンピックが来ていればもっと予算が見込まれ積極的な改修ができたのでは”という残念そうな言葉から、こうした公共建築はそうしたイベントにたよらずとも、戦略的なメンテナンスを行えるような仕組みが無ければならないと感じた。

 そうした仕組み作りに設計者としてどこまで言及し関わることができるか。長年に渡りその建築を活かし世の中にとって有用なものとできるか。創るだけの時代から、ストックを活かす時代となり、私達が設計実務のシーンでよく言う“将来対応”は机上の理論ではなく、いかに良い事例を広く学び、未来の利用シーンを想像することが大切かを非常に考えさせられた見学会であった。

 

 今回は同時期に竣工してなお現役の国立競技場も見学する予定であったが、耐振補強工事の調査の関係であいにく見学することが出来なかった。またの機会に見学を行いレポートすることとしたい。

 

作成:中丸 隆司